【観劇レポート】月の獣|感想、舞台詳細情報、あらすじ(ネタバレあり)

月の獣観劇レポ 観劇あれこれ

舞台「月の獣」を2019年の年末に兵庫県にて観劇してきました。

とても静かで淡々と進んでいくお話が進んでいきますが、最後はハンカチなしでは見られず、涙を何度もおさえる場面がありました。

 

おたまま
おたまま

2019年の観劇活動を締めくくるに相応しい、素晴らしい舞台やったなぁ…

 

物語の舞台は100年近く前の時代なのに、観ていると「現代の話なのでは?」と感じることも。

人生を進んでいく中で、いまもむかしも変わらず抱える悩みが描かれていました。

観劇レポートとして、舞台の感想やあらすじをご紹介します。

 


追記情報 TV放映が決定!

2020年3月2日深夜0時(日曜から月曜にかけての夜中)にBSプレミアムの「プレミアムステージ」にて放送されます!

以下ネタバレも含んだ観劇レポートになります。

まっさらな状態で観たい場合は、BSプレミアムで観てから、レポートを読まれることをおすすめします。


「月の獣」 観劇レポートと感想(兵庫)※一部ネタバレあり

兵庫の大千秋楽で観劇してきました。

大千秋楽(一番最後の舞台)とあって、観客も多くすごい熱気でした。

兵庫県立劇場

チケットは、兵庫県立劇場の会員になっていましたので、劇場の先行申し込みで座席指定の上、ゲットすることが出来ました。

(人気チケットですが、思いの外サイトにスムーズにアクセスできました。)

 

観劇したときはパンフレットを購入しますが、大千秋楽の日は、なんと好評につき売り切れ!


レターパックで後日送付くださいました。

月の獣パンフレット

2019年12月29日に観劇、2020年1月17日に到着。

丁寧に案内つきで送ってくださいました。

お正月も挟んでいたのに、素早い対応に感激です。

少し時間が経ちましたが、パンフレット読むと、大千秋楽のあの空気が蘇ってきます。

興奮も落ち着き、より深くお話の世界について考えさせられました。

 

舞台写真はもちろん撮れませんので、こちらに掲載されている写真をご覧いただき、舞台の雰囲気を感じてもらえたらと思います。

 

舞台「月の獣」の感想

この舞台はオスマン帝国によるアルメニア人迫害という、残忍な歴史的事実をベースに創られていますが、その残忍さを訴えかける内容のものではありません。

最初から最後まで失ったものへの「執着」と新しく「構築」して人生を模索しつづける、ある夫婦(または家族)の軌跡が描かれていました。

 

第一幕では、アラムは失った自分自身の家族を、あこがれていた父のような厳格で強い男になりたい思いが手放せず執着していました。

その理想の家庭像や家長像を、妻として呼び寄せたセタに押し付け強要する場面から物語がはじまります。

 

迫害によって家族を亡くし祖国をも追われてしまうという、主人公たちの「大きな傷」で表現されていますが、いま生きている私たちも小さいながらも(でも本人にとっては大きなこと)、何か傷を負いながら人生を歩んでいます。

傷を負ったときに大切な何かを失い、それを埋めるために新しく構築しようとする。

(例えば、失恋して大切にしていた恋人と別れ、ぽっかり空いた心の穴を埋めて新たに進むために新しい恋人との関係を作っていこうとする。)

けれど、そのときに「失ったものを手放せずに執着していると、新しくは構築できない」ことをこの舞台は何度も伝えてくれます。

(昔の恋人のことが忘れられず、その面影を新しい恋人に求めても、上手くいきませんよね。)

 

では、どうやったら失ったものへの執着を手放し、新たな関係を構築できるのか?

この舞台では「自己開示」をすることで、過去の傷への執着を癒し、新たな関係を構築するために前に進めるんだということが表現されていたように感じました。

 

第二幕では、ずっと謎だったアラムの傷が最後の最後で明らかになります。

ですが、第二幕の前半部分でも、まだ、自分の傷をセタに話せずに、どんどん物語が進んでいくので重苦しかったです。

ヴィンセントの登場がきっかけで、アラムはセタに自分の傷を話すことになるのですが、そうすることで、理想ではない本来の自分自身をセタに見せることができて、ようやく、過去の理想から解き放たれ、前に向かって一緒に進めるように。

この瞬間、ただの男と女の共同生活から、夫婦という新しい関係に変化したと、はっきりと感じ取ることができました。

明確なセリフがあったわけではありませんが、アラムの独白前と独白後では、2人を包む空気が全く違っていて、眞島さんとゆきのちゃんの表現力に感心しきりでした。

 

最後にアラムとセタ、ヴィンセントが新しい人生の門出に三人で写真をとる瞬間は、新しいノートに一文字目を書きはじめるような清々しい気持ちと、少しの不安と、期待と、それらが入り混じったような、幸せだけれどもそれだけじゃない、お互いを支えあって進んでいこうとする、家族の姿が胸に焼きつきました。

 

出演者はたった4人。

セットも、ダイニング、家の壁、写真、カメラだけとシンプル。

とても静かで、呼吸の1つ1つも大切にしていて、見ている方も息をひそめてじっくりと観ていました。

 

前半は9割が眞島さんとゆきのちゃんの2人のみで話が進んでいきます。

凄まじいセリフ量。

アレだけの量をただ覚えるだけでなく、しっかりと意味を理解して、その役として言葉を発する演者さんたちの集中力、本当に素晴らしかったです。

とくに、聖書を朗読したり、一説をとっての言い合いをする場面まであり、難しい言い回しにもかかわらず、きちんと伝わるところにまで練り上げられているのがすごかったです!

 

セタが少女から大人の女性へと少しずつ成長していく姿によって、物語の時間の経過を感じることができました。

ゆきのちゃんの、立ち姿や話し方で、それを自然と感じられるのが素晴らしかったです。

 

ヴィンセントからは、苛酷な環境で生活していながらも、屈託のない雰囲気から、愛らしさを感じました。

だからこそ、固く閉ざしたアラムの心のカギを、少しずつ開いていくことが出来たんじゃないかと思います。

 

謎の紳士の語り口が、穏やかで(まるで、昔話でも読んで聞かせているような穏やかさ)、アラムとセタを舞台上で見つめる姿が優しくて。

その時間が物語の額縁のように、穏やかながらも締まりを与えてくれています。

 

俳優オタ的目線での舞台「月の獣」の感想

眞島さんが観たくて、今回この舞台を観劇しました。

センターブロックの前の方(5列目以内)だったので、とにかく演者との距離が近い。

眞島さんが登場してきたとき、そのシュッとした長い脚と、映像で観るよりもがっしりした肩幅に、一旦、昇天する(笑)

 

ダイニングテーブルにのぼるシーンがあるのですが、

顔がいい!脚が長い!乗ったときの体勢が美しい!!!

 

そして何よりも、イケボが過ぎる

無理に声を張っている訳ではないのに、しっかりと聞き取れる、低く安定感のある声。

一つ一つの単語が聞き取りやすく、「あのセリフ、聞き取りにくかったな…」がありませんでした。

 

最初の写真撮影の時に、セタを笑わすために、ぴょんぴょんうさぎ跳びをするシーンがあったのですが、可愛い。とにかく、可愛い。

スープを飲むシーンも、そこにないスープが見える!!!

そして、最後の家族写真を撮るシーンは、大千秋楽ということもあってか、感極まって目に光るものが。

 

おたまま
おたまま

こういう神経質な男を演じさせて右に出るものはいない!!!

神経質の先に、優しさも表現できる、稀有な俳優さんやなぁ。

 

カーテンコールは、千秋楽ということもありトータル6回。

2回目からはスタンディングオベーション。

座長なのに控えめで、可愛らしく、丁寧にお辞儀されていました。

皆で肩に手を置いて電車のように繋がって登場したり、ゆきのちゃんに促されて一人ひょこっと舞台そでから出てきてお辞儀でご挨拶をしてくれたり、とにかく可愛かった。

(可愛い以外の語彙力が消滅…)

カーテンコールでも、昇天!!!

興奮しすぎて記憶が飛ばないように、網膜に焼き付けました。

 

「月の獣」公演情報とあらすじ

ここからは、今回レポートした公演の上演時間・キャスト・原作の情報などをご紹介。

 

「月の獣」兵庫公演の日時

12月28日(土)、12月29日(日)

12:30会場/13:00開演

兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール

 

「月の獣」上演時間

第一幕 1時間

休憩 15分

第二幕 1時間10分

 

「月の獣」キャスト、原作、演出

アラム・トマシヤン:眞島 秀和

セタ・トマシヤン:岸井 ゆきの

謎の紳士:久保 酎吉

ヴィンセント:升水 柚希

 

作:リチャード・カリノスキー

演出:栗山 民也

 

「月の獣」の原作について

原作となる戯曲を書いたのは、アメリカ人のリチャード・カリノスキー。

いままでに、19もの言語に翻訳され20カ国以上で上演されている舞台です。

アルメニア人の前妻の祖父母から聞いた、迫害の体験談がこの戯曲が誕生するきっかけとなったそうです。

 

以下は、月の獣のあらすじです。

ネタバレありですので、ネタバレOKの方のみ読み進めて下さい。

 

「月の獣」 あらすじ(ネタバレあり)

舞台は第一次大戦後のアメリカ・ミルウォーキー。

様々な苦難を乗り越え、オスマン帝国(今のトルコ)からの迫害から逃れるためアメリカに亡命したアルメニア人のアラムと、アラムが写真だけで妻に選んだアルメニア人孤児のセタが、1人の男と女から夫婦、家族になっていくまでのお話。

謎の老紳士が、「2人の証人」として、アルメニア人迫害のこと、二人の生活について淡々と語る中で物語が進んでいく。

 

命からがらアメリカに亡命し、ミルウォーキーにやってきたアラムとセタ。

顔の切り取られた奇妙な家族写真が飾られた部屋で、新しい生活を始める。

自分の父母が築いていた理想の家庭を作ろうと必死なアラムと、まだ迫害の恐ろしい記憶を小さな胸いっぱいに抱えた幼いセタは、夫婦というよりもただの男の子と女の子だった。

 

アラムは聖書の教えを毎晩セタに説き、夫に従順で貞淑な妻の姿を押し付けた。

一方の幼く迫害により心に闇を抱えていたセタは、自分の育った家庭とは違うアラムの理想の家庭像に、応えることができませんでした。

セタは心を殺し夫婦を続け、理想の家族を作りたいアラムは、子作りに必死だったが、何年たっても子供を授かれないまま時は過ぎ、その途中で、セタは迫害を受けている間の栄養失調や心の負担が原因で、子供が出来ない身体だということが判明する。

重ねて、目の前で姉が男に襲われ殺されたことの心の傷から、子作りにあまり前向きになれないのに、完璧な家族を目指してアラムは強要し続けるのでした。

そんなセタへの気遣いもないまま、子供を望まれるため、よりアラムへの不信感が募っていく。

 

それなのに、アラムは何も話してはくれません。

なぜそんなに理想の家庭にこだわるのか?

どうして顔の切り取られた写真が飾られているのか?

何も話さないアラムに、何年たっても心が近づくどころか、夫婦の仲はどんどん冷えていく。

 

そんなある日、セタが孤児のヴィンセントを家に連れてくる。

孤児施設で暴力や理不尽を受け、ヴィンセントも心に闇を抱えていた。

そんなヴィンセントに温かい食事と風呂と清潔な衣服を与えたことをきっかけに、アラムとセタの夫婦の生活の中にヴィンセントが関わるように。

その登場が、静まり冷え切った湖に落ちた一滴の水滴のように、波紋を広げていく。

 

セタがヴィンセントに着せた、アラムの古いコートがきっかけになり、アラムの過去が溢れ出す。

アラムも迫害によって家族が襲われ、自分だけが地下に隠れて助かったことを、セタは初めて知るのでした。

その失った自分の家族そのものを取り戻したい一心だったアラム。

聖書を食事前に必ず朗読する厳格な父、従順で貞淑な妻、そこに3人の子供。

自分が亡くした家庭を、理想の父親像を取り戻したいアラムは、セタに自分の理想を押し付けていたのだった。

セタもアラムの傷を知り、その気持ちを受け止めることが出来たことで、本当のアラムを知ることができた。

こうしてお互いがキズを見せ合ったことをきっかけに、ただの男と女の共同生活から、血の通った夫婦というあたたかな形へと変化していった。

 

ずっと語り部役だった謎の老紳士は、成長したヴィンセントだったと第二幕の冒頭で明らかになります。

老いたヴィンセントは、その後2人がヴィンセントを引き取り、家族となったことを語ってくれます。

 

傷を抱えていた3人が、お互いの傷を知り、寄り添い、家族となった。

家族3人で新たな写真を撮るシーンでこの舞台の幕は閉じる。

 

おたまま
おたまま

夫婦とは家族とはなにか?

その普遍的な命題を、淡々と問いかけてくる舞台です。

 

失ったものへの執着と、それを手放し新たに再構築していく男と女の姿が、遠い昔の遠い国の物語りではなく、現代にも通じるものがあります。

 

観劇後はチョコレートケーキを食べながら(劇中に度々登場する)、夫婦について家族について語り合いたくなる、そんな舞台です。

 

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